僕のラーメン屋物語9

2016年02月2日

前回、濃厚豚骨魚介のつけ麺を食べて衝撃を受けて、名古屋にお店を作りたいと思い、八百屋のお姉さんから物件の紹介を受けたという話をしました

本日は、そのフジヤマ55開業物語の後編をお話ししたいと思います。

取引のある八百屋のお姉さんからたまたまタイミングが合って空いた物件を紹介してもらったという偶然と、もう一つミラクルな偶然が重なりました。

八百屋のお姉さんから借りたこの大須の物件は、実は 物語があります。

「あんた、ここでやりゃ~」とお姉さんに言われる1週間前まで、実はお姉さんはこの物件を老朽化の為、取り壊そうとしていました。

当然、その時点では僕に貸そうなんて、少しも思っていませんでした。

それがなぜ借りや~という話になったのか。

昭和の初期に建てられたこの物件、木造3階建てで現在の建築基準にはあっていなく、当時、現存する中部地方で唯一の木造建築という希少な建物でした。 

老朽化が激しく今にも崩れそうな物件で、安全上も問題あるという判断で取り壊しを決めていた物件でした。 

そこに現名古屋市長である 河村たかしさんが、当時、大須に通いの飲食店があり、大須の人達からこの建物の取り壊しを聞いたらしく、歴史的建物だから取り壊すのはもったいない、保存をしようではないかということになったらしいのです。

そんなグッドタイミングな経緯もあり、その建物は耐震補強をして、僕が借りるという流れになりました。

急ピッチで準備をし 2009年9月 念願の「つけ麺・ラーメン フジヤマ55」を開業することになりました。

※中日新聞で取り上げられた、この物件の記事です。

フジヤマ55のオープンには、河村市長もかけつけ、普通なら飲食店はグルメ番組やグルメ雑誌の取材を受けるのですが、地元の有力紙である中日新聞はじめ、読売、朝日、毎日 あと、TVの報道番組もほぼ名古屋の全局が取材に訪れて、盛大なオープニングとなりました。

このミラクルな出来事が呼び水となり、フジヤマ55は一時、大須地区のホットスポットとなりました。

狙い通り大須に遊びに来る若者が大挙して訪れ、その行列がさながらテーマパークのようになりました。

13坪、13席、週休一日でしかも、営業時間も短いにもかかわらず、月商700万弱を売る業界ではお化け店となりました。

仕込みは、スタッフと分担しながらやりましたが、毎日ヘロヘロになって、家に帰り倒れるように寝る生活でした。

お客様が毎日たくさん訪れてくれて、すごく疲れてはいましたが、名古屋のお客様に濃厚豚骨魚介のつけ麺を喜んで食べていただいて、とても幸せな営業でした。

この出来事で学んだことは、事業は、参入するタイミングが大切だということです。 

早すぎてもダメだし、遅ければ競争が激しくなる。

どこかで流行していて、潜在的なニーズがあり、それをこの地域にとか、この国に持ってくるというやり方は賢明だと思います。

フジヤマ55がまさにそう。

関東で爆発していた濃厚魚介豚骨つけ麺を名古屋に持ってくることにより、名古屋のつけ麺の元祖という位置づけになりました。

それが繁盛ポイントでした。

つづく