僕のラーメン屋物語13

2016年02月2日

本日は、フジヤマ55 バンコク立ち上げ物語 後編です。

タイ人パートナー ナイ と フジヤマ55 スタッフ 和久田くん と 僕 の 3人が中心となってバンコク立ち上げ準備をしました。

フジヤマ55のポリシーである『日本の本物のつけ麺・ラーメンを世界へ』 を実現するために、まず最初にフジヤマ55の味をタイで調達した食材、調味料を使って再現する必要があります。

タイの市場や問屋を回り、食材、調味料を調達し試作を繰り返しました。

これは、使えるぞという食材が見つかってもそこはタイ。

なかなか安定供給が難しいこともわかりました。

品質も毎日バラバラでした。 

そもそも 規格というものが市場には存在しないに等しいからです。

醤油、酒、みりん、スパイス等も、最初はローカルのものを使用して試作してみましたが、日本と同じラーメンやつけ麺の味にはなりませんでした。

タイ人スタッフに醤油を買ってきてもらったら、その醤油のなまえが 「 oishi syoyu 」だったのには、苦笑いました。 

実際、味見をしてみましたが、僕の口には合いませんでした。(笑)

そこでローカルのサプライヤーや商社をあたってみることにしました。

品質がいいものが何種類かありましたが、そういったものは、日本からの輸入品がほとんどでした。

魚介のダシに使う鰹節、日本独自の調味料である みりんや日本酒は、日本からの輸送費の関係で日本より高価でした。

しかし、フジヤマ55のラーメン、つけ麺には 日本の調味料、鰹節等の材料は欠かせませんし、代用も効きません。

僕らのポリシーである日本品質のラーメン、つけ麺を提供しなければ意味はありません。

何度も様々な業者さんと折衝を繰り返し、原価の問題はありますが日本からの輸入品、現地の食材をバランスよく使用して、最終的に日本と同じクオリティーのスープを作ることができました。

次は、麺です。

日本品質の麺の選定にも苦労しました。

タイローカルの麺屋さんと数々の折衝をしましたが、全く品質が折り合わず麺選びは難航しました。

ところが、ちょうどいいタイミングで日本を代表する製麺メーカーが、タイに麺の製造工場を作ることがわかり、最終的にそちらにお願いすることになり、麺の課題もクリアできました。

大変にタフな折衝でしたが、最後に日本品質のおいしいつけ麺、ラーメンができ、やっとスタートラインに立てると思いました。

サラリーマン時代、大工の棟梁に教えていただいた 段取り8分という考え方があります。 

段取りが出来たら、ほぼそのプロジェクト遂行されたも同然だということ。

段取りはほぼ、できました。あとは実行あるのみ。

★menu05 ★menu08

★menu09★menu10

お店の工事に関しては、名古屋で付き合いのあった、星野デザインの星野さんに一任しました。

少々お金はかかりましたが、ラーメン店にデザインの要素を入れ日本品質の和がテーマのかっこいいデザインのラーメン屋ができました。

1454757_620971251312679_3478324153955221687_n

このかっこいい内外装のデザインが、後のフジヤマ55タイにおいてデベロッパーから出店のオファーを頂ける要因の一つになりました。 

フジヤマ55=日本品質のおしゃれでスタイリッシュなラーメン屋で、日本品質のつけ麺・ラーメンをおもてなしの接客で食べることができる というイメージがタイの人達に浸透していくことになりました。

お客様がお店に抱くイメージは、そのままそのブランドのイメージになります。

ひとまず、なんとか立ち上げる事が出来て、ホッとしましたが、その立ち上げの中で一番苦労したのは、タイ人スタッフの教育でした。

そもそも、飲食店で接客教育を受けるという経験が、タイ人にはありません。

僕らは、ジャパニーズクオリティーを世界へ が共通言語だから、接客もおもてなしの要素を少し入れて、接客で使用する主要なトークを日本語でできるようにタイ人スタッフに教育しました。

トレーニングを開始すると意外でしたが、日本語の単語の発声練習をしたときに、彼らにしてみると、日本人が英語を使うのがおしゃれなように、タイ人が日本語を使うことがおしゃれに感じるらしく、全員真面目に聞いて覚えてくれました。

タイ人は、まじめでいい人達だと最初は思いました。

しかし、いざオープンしてみると、まったく、うまく事は運びませんでした。

まず、遅刻はあたりまえ。 

予定通り店が開けられない時が頻繁にありました。

営業中には、ちょっと時間に余裕ができると、携帯でテレビを見るスタッフもいました。

挙句の果てには、時間ができると厨房でビールを飲みだすスタッフもいました。

まさかまさかの連続で ほとほとまいりましたし、現地に派遣したマネージャーの和久田君が疲れ切ってしまいました。

この頃の僕は、和久田君に僕らがイメージするお店のオペレーションの50%できていれば及第点だと思ったほうがいいと伝えていました。

ジャパニーズクオリティーを世界へという理念を掲げてスタートした海外事業ですが、タイで実際に店をやってみて、改めて日本人の優秀さを認識しました。

そんな苦労をしながらも、なんとかタイのお客さまにフジヤマ55が徐々に認知されてきて、オープン当初は、来店していただけるお客様の半分以上がタイ駐在員の日本のお客様でしたが、現在この1号店では、70%以上がタイ人のお客様になり、ジャパニーズクオリティーのラーメン・つけ麺をタイ人のお客様が受け入れてくれ、喜んでお店に通っていただいているので、苦労したかいがあったと思います。

2016年現在、タイ国内に7店舗を構えるまでになり、フジヤマ55の理念であるジャパニーズクオリティーを世界へということ実現していく形になりました。

今では、タイで1,2を争うショッピングモールのセントラルグループが認めてくれて、ショッピングモール内の店舗に誘致をされるまでになりました。

最近、もっとジャパニーズクオリティーのレベルを上げるべく、日本から麺を作る機械を輸送し自家製麺も始めました。

タイ人が日本品質の自家製麺を作っているのは、感動モノです。

これから、タイ国内で飛躍的にフジヤマ55のつけ麺・ラーメンは広がっていくと思っています。

これは、タイで奮闘している和久田君タイ人パートナー ナイ、最初はおぼつかなかったが今では誇りをもって頑張ってくれているタイスタッフの頑張りのおかげであると思っています。

この場を借りて、感謝したいとおもいます。ありがとうございます。 

 このタイでの立ち上げで認識したことは、

日本人の民度は、世界最高水準で、日本での常識を他の国に持ち込むことはできません。

郷に入っては郷に従いましょう。

しかし、日本の文化の素晴らしさを伝える気概を持ちましょう。

日本品質をもって行きながらも、現地の国民性に合わせる部分も持ちあわせるバランス感覚が大切です。